前のサイトが削除されました [ダイアリー]
とうとうホンマに削除されました。って、当然やねんけどね。こっちが「やめます」ゆうたんやから当たり前やん。
ってことで、泉たまの公式なブログはココになりますんで、ブックマークお願いします。
でもね、実はね、探してみると、今までに作ったHPがちょこっとそのまま残ってたりするんですわ。検索してみたら底の方に沈んでなかなか探されへんけど、やっぱり残ってるんですわ。
こーゆーヤツも「やめます」ゆうて削除したらええねんけど、そのためには管理ページにログインせなでけへんねんけど、そのログインのIDとかパスワードとか忘れてるからでけへん。料金発生してるわけやないからほったらかしや。
ときどき、その残骸を検索して見つけておもしろがってる管理人です。ハハハ。
ってことで、泉たまの公式なブログはココになりますんで、ブックマークお願いします。
でもね、実はね、探してみると、今までに作ったHPがちょこっとそのまま残ってたりするんですわ。検索してみたら底の方に沈んでなかなか探されへんけど、やっぱり残ってるんですわ。
こーゆーヤツも「やめます」ゆうて削除したらええねんけど、そのためには管理ページにログインせなでけへんねんけど、そのログインのIDとかパスワードとか忘れてるからでけへん。料金発生してるわけやないからほったらかしや。
ときどき、その残骸を検索して見つけておもしろがってる管理人です。ハハハ。
6月になりまして [ダイアリー]
泉州たまねぎファイターズ公式ブログ [ダイアリー]
今まで「SENTAMA.COM」という独自ドメインにこだわって、サーバー借りてやってましたけど、毎月いらん費用もかかるし、フェイスブックもあるし、そろそろアレしょうかなと思て、只今こちらをメインにすべく工事中であります。
近々、泉たまドットコムの方は閉鎖しますので、こちらをお気に入り登録しといていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。 管理人
近々、泉たまドットコムの方は閉鎖しますので、こちらをお気に入り登録しといていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。 管理人
フェイスブックでつながって・・・ [ダイアリー]
Facebookで「お友だち」になった西山公平さんという方(高校の先生されてます)が、非常に泉たまを気に入ってくれたようで、フェイスブックにこんなコメントが寄せられました。
ありがとうございます。
Early Days:SENTAMA
ひょんなことから泉州玉ねぎファイターズの今井克己サンとFBで繋がり、YouTubeで泉たまの演奏を聴くようになった。僕はブルーグラスやカントリー、フォークを聴くのが好きで、ライブにも時々行ったりしている。泉たまは関西ではかなり知られたバンドのようだけど、僕はまったく知らなかった。泉たまの今井サンのことを教えてくれたのは高校時代の同級生で、自身もバンド活動をしている辻井文之サンだった。彼から聴いてYouTubeで泉たまを聴くようになった。僕はただ聴くだけで楽器や音楽の専門的なことは分からないが、泉たまが優れたバンドだということは分かる。おそらく、僕が泉たまを知らなかったのは東海大学での6年間を関東で過ごしたからだろう。先日、今井サンにお願いして「グッドバイ・ミスター・ブルースプリング」のCDを送ってもらった。やはり「グッドバイ・ミスター・ブルースプリング」はいい。「泉州ボーイ」から始まるオリジナルもどれを聴いても懐かしく感じる。70年代のサウンドだ。ザ・バンドの「ザ・ウェイト」は僕らの高校時代、バンドをやってた仲間が文化祭で歌い、今でも思い出の一曲としてよく話題になるし、僕も時々カラオケで歌う。僕らの同級生はブルーグラスやカントリーから始まり、カントリー・ロック、ロックと進化して行き、今でもライブハウスで活動している連中が多い。泉たまの歌を聴いて親近感を覚えるのは僕らの仲間とよく似ている気がするからだろう。FBのおかげで素敵なバンドを知ることが出来た、ありがたい。
Facebookの「泉たま」ページは「いいね!」してくれた人が107人もいます。
ホントにありがたい話です。
泉たま、もっとライブやって、ちゃんとヒトサマの前に姿をさらして、泉たまの今を聞いてもらわんとアカンで〜と、つくづく思います。
ありがとうございます。
Early Days:SENTAMA
ひょんなことから泉州玉ねぎファイターズの今井克己サンとFBで繋がり、YouTubeで泉たまの演奏を聴くようになった。僕はブルーグラスやカントリー、フォークを聴くのが好きで、ライブにも時々行ったりしている。泉たまは関西ではかなり知られたバンドのようだけど、僕はまったく知らなかった。泉たまの今井サンのことを教えてくれたのは高校時代の同級生で、自身もバンド活動をしている辻井文之サンだった。彼から聴いてYouTubeで泉たまを聴くようになった。僕はただ聴くだけで楽器や音楽の専門的なことは分からないが、泉たまが優れたバンドだということは分かる。おそらく、僕が泉たまを知らなかったのは東海大学での6年間を関東で過ごしたからだろう。先日、今井サンにお願いして「グッドバイ・ミスター・ブルースプリング」のCDを送ってもらった。やはり「グッドバイ・ミスター・ブルースプリング」はいい。「泉州ボーイ」から始まるオリジナルもどれを聴いても懐かしく感じる。70年代のサウンドだ。ザ・バンドの「ザ・ウェイト」は僕らの高校時代、バンドをやってた仲間が文化祭で歌い、今でも思い出の一曲としてよく話題になるし、僕も時々カラオケで歌う。僕らの同級生はブルーグラスやカントリーから始まり、カントリー・ロック、ロックと進化して行き、今でもライブハウスで活動している連中が多い。泉たまの歌を聴いて親近感を覚えるのは僕らの仲間とよく似ている気がするからだろう。FBのおかげで素敵なバンドを知ることが出来た、ありがたい。
Facebookの「泉たま」ページは「いいね!」してくれた人が107人もいます。
ホントにありがたい話です。
泉たま、もっとライブやって、ちゃんとヒトサマの前に姿をさらして、泉たまの今を聞いてもらわんとアカンで〜と、つくづく思います。
馬がコケる・・・そーんなバカな! [ダイアリー]
こういうのはアメリカ動物愛護協会からクレームとかけえへんのんか?
森永ヒ素ミルク事件 [ダイアリー]
ボクらの世代が赤ちゃんだった頃、森永ヒ素ミルク事件というのがあった。
昭和30年のことだ。
1万人以上が被害に遭い、130人もの赤ちゃんが亡くなったらしい。
ボクはどうだったかというと、おかんに昔聞いた所、飲んでなかったということだった。
実は、身近な友だちで、この事件に非常に関係のある人がいてるんやけど、ここでは書かない事にする。本人が、笑って話せることなのかどうか、定かでないからね。
でも、中国というのは、何年、遅れてるのかねぇ。
ジャマーバンドさんのfacebookより〜その4〜 [ダイアリー]
どんどん書いてくれるジャマーさんの「泉たまの思い出」集。ついに第4弾。
そうそう、ばっちゃんアニキさんには大阪バラード(だったと思う)で、バックコーラスなんてことをお願いしてやってもらったことありました。エルビン・ビショップの曲もやってもらったよね。
CーPOINTさんの「少年の夢」でのアニキさんの歌い方のモノマネも流行りました。失礼しました。
泉州たまねぎファイターズの出会いを辿っていると思い出したのですが、実はアニキの方が先に知り合っていて、当時アニキは「PIE」というバンドをしていましたが、センタマのバックコーラスなんかもしてたと聞いたことがあるのを思い出しました。
そういえばアニキの結婚式(たぶん83年ごろか?)にジャマーバンド(当時メッティチャイルド)が呼ばれたとき、弟ヒロジが「1曲しかしたらあかんから、楽器持って行ってもアホラシでぇ~」とまだ「謙虚」という言葉を知らない私たちはのこのこと手ぶらで会場(たぶんバーボンハウス)へ出かけていきました。
当時アニキはc-pointというプロバンドでしたので、結婚式はみなさんお祝いの一曲を披露する趣向で進められていきます。泉州たまねぎファイターズも一曲、やしきたかじんも一曲、シェイカーズも一曲、スターダストレビューも一曲、そして次は我々に演奏してくれと頼まれ、「楽器持ってこなくてよかった」と思ったのも束の間、謙虚なセンタマのみなさんが楽器を差出、「どうぞ使ってください」といわれ、断ればええものを誰かが「ありがとうございます」と借りてしまったもんやから、やけくそでトーキングブルースしたんだけどそれがまたエライ受けた。という今から書きながらも背筋が凍る話がございました。
c-pointは、加山雄三主演のテレビドラマのテーマソング「少年の夢」(名曲です)や佐野元春や伊藤銀二プロデュースのアルバムHIGHーTUNEをリリースしたり、小林麻美と大ヒット曲「雨音はショパンの調べ」(たぶん訳詞はユーミン)など輝いてました。まあ和歌山が生んだヒーローとして阪神タイガースの藤田平に次ぐヒーローでした。
たまに帰省したとき、メッティチャイルドに飛び入りしたり、片男波野外ライブでもソロでかっこよく歌ってましたわ。
その後、c-pointは解散、88年にアニキは和歌山に帰ってきます。
先日「何でジャマーバンドに入ろうと思ったの?」と尋ねると「金ちゃんが誘ったんや!」と叱られました。その時思い出しましたが、アニキは写真のように笑顔がいいので、当時優しい先輩やと勘違いしてたんですね。30周年で色々思い出す今日この頃です。
とりあえず13日日曜日ジャックライオンへ16時始まります
とうとう、ジャマーさんの30周年ライブの前座出演が明々後日(しあさってとタイプするとこう変換されるんだ!)にせまりました。いろいろ書いてもらって「ホメ殺し」状態なので非常にプレッシャー感じてます。
そうそう、ばっちゃんアニキさんには大阪バラード(だったと思う)で、バックコーラスなんてことをお願いしてやってもらったことありました。エルビン・ビショップの曲もやってもらったよね。
CーPOINTさんの「少年の夢」でのアニキさんの歌い方のモノマネも流行りました。失礼しました。
泉州たまねぎファイターズの出会いを辿っていると思い出したのですが、実はアニキの方が先に知り合っていて、当時アニキは「PIE」というバンドをしていましたが、センタマのバックコーラスなんかもしてたと聞いたことがあるのを思い出しました。
そういえばアニキの結婚式(たぶん83年ごろか?)にジャマーバンド(当時メッティチャイルド)が呼ばれたとき、弟ヒロジが「1曲しかしたらあかんから、楽器持って行ってもアホラシでぇ~」とまだ「謙虚」という言葉を知らない私たちはのこのこと手ぶらで会場(たぶんバーボンハウス)へ出かけていきました。
当時アニキはc-pointというプロバンドでしたので、結婚式はみなさんお祝いの一曲を披露する趣向で進められていきます。泉州たまねぎファイターズも一曲、やしきたかじんも一曲、シェイカーズも一曲、スターダストレビューも一曲、そして次は我々に演奏してくれと頼まれ、「楽器持ってこなくてよかった」と思ったのも束の間、謙虚なセンタマのみなさんが楽器を差出、「どうぞ使ってください」といわれ、断ればええものを誰かが「ありがとうございます」と借りてしまったもんやから、やけくそでトーキングブルースしたんだけどそれがまたエライ受けた。という今から書きながらも背筋が凍る話がございました。
c-pointは、加山雄三主演のテレビドラマのテーマソング「少年の夢」(名曲です)や佐野元春や伊藤銀二プロデュースのアルバムHIGHーTUNEをリリースしたり、小林麻美と大ヒット曲「雨音はショパンの調べ」(たぶん訳詞はユーミン)など輝いてました。まあ和歌山が生んだヒーローとして阪神タイガースの藤田平に次ぐヒーローでした。
たまに帰省したとき、メッティチャイルドに飛び入りしたり、片男波野外ライブでもソロでかっこよく歌ってましたわ。
その後、c-pointは解散、88年にアニキは和歌山に帰ってきます。
先日「何でジャマーバンドに入ろうと思ったの?」と尋ねると「金ちゃんが誘ったんや!」と叱られました。その時思い出しましたが、アニキは写真のように笑顔がいいので、当時優しい先輩やと勘違いしてたんですね。30周年で色々思い出す今日この頃です。
とりあえず13日日曜日ジャックライオンへ16時始まります
とうとう、ジャマーさんの30周年ライブの前座出演が明々後日(しあさってとタイプするとこう変換されるんだ!)にせまりました。いろいろ書いてもらって「ホメ殺し」状態なので非常にプレッシャー感じてます。
ジャマーバンドさんのfacebookより〜その3〜 [ダイアリー]
こういうふうに思われてたんだ・・・なんて、当時は夢にも思っておりません。
「謙虚」なんていうことよりも、演奏できることがうれしかっただけです。
泉州たまねぎファイターズ
1983年に「ロックと謙虚さ」を教えてくれたこのバンド。何より歌がよいのです。初期の作品「泉州ボーイ」「ミッドナイト十三」などのローカルな日常を表現するかと思いきや「アポロ」というバラードでは、宇宙から地球を見たりする。
「大阪ミナミ・ハーレムナイト」は一度ジャマーバンドでもコピーさせてもらったが、独特の歌い回しは高度な技術が必要であることを身に染みてわかりました。
日本語ロックなのですが、英語をうまく使いながら楽曲にグルーブを出す手法は秀逸なのです。ドラムの今井さんの言葉と世界観が天才的なんでしょう。
それを個性派ぞろいのバンドマンが消化して、表現していけるのは、一切の妥協を許さないリーダー「ダーマエ」氏の強烈なリーダーシップです。さすがみどり幼稚園の先輩です。
リーダーシップもすごいですが、気遣いも半端ないです。イベントをしてもお客さんはもちろん、各バンドを気遣い、会場やスタッフに対して謙虚に対応してくれます。たまに「もー細かいことええんちゃうの?」と思ったりすることもあるのですが、先輩なんで口答えできません。
イベントのディレクションをしながらもバンドに入ると、音楽に手を抜かない姿勢は尊敬します。彼のボーカル「僕たちの背中」を聴くと泣きそうになりながら、明日からも謙虚に生きようと思ってしまいます。
いよいよ13日日曜日15:30~大阪茨木ジャックライオンでライブします。
30周年の節目をいっしょに楽しめることが何よりも幸せです。
昔のセンタマもいいのですが、ここ数年の楽曲もすごい楽しみです。
日曜日は、おっさん達のロックスピリットを見せてあげましょ!
「大阪ミナミ・・・」をカバーしてやってくれたときはホンマに涙出るぐらいうれしくて大騒ぎでした。我ながらエエ曲やんかーとか思いながらも、そんなに愛してくれてたんだーと感激しました。ありがとう。
さて、その天才的な作詞家ドラマーの今井さんって、実はボクのことなんですよねー。墓標にはそう書いてもらおう。
「謙虚」なんていうことよりも、演奏できることがうれしかっただけです。
泉州たまねぎファイターズ
1983年に「ロックと謙虚さ」を教えてくれたこのバンド。何より歌がよいのです。初期の作品「泉州ボーイ」「ミッドナイト十三」などのローカルな日常を表現するかと思いきや「アポロ」というバラードでは、宇宙から地球を見たりする。
「大阪ミナミ・ハーレムナイト」は一度ジャマーバンドでもコピーさせてもらったが、独特の歌い回しは高度な技術が必要であることを身に染みてわかりました。
日本語ロックなのですが、英語をうまく使いながら楽曲にグルーブを出す手法は秀逸なのです。ドラムの今井さんの言葉と世界観が天才的なんでしょう。
それを個性派ぞろいのバンドマンが消化して、表現していけるのは、一切の妥協を許さないリーダー「ダーマエ」氏の強烈なリーダーシップです。さすがみどり幼稚園の先輩です。
リーダーシップもすごいですが、気遣いも半端ないです。イベントをしてもお客さんはもちろん、各バンドを気遣い、会場やスタッフに対して謙虚に対応してくれます。たまに「もー細かいことええんちゃうの?」と思ったりすることもあるのですが、先輩なんで口答えできません。
イベントのディレクションをしながらもバンドに入ると、音楽に手を抜かない姿勢は尊敬します。彼のボーカル「僕たちの背中」を聴くと泣きそうになりながら、明日からも謙虚に生きようと思ってしまいます。
いよいよ13日日曜日15:30~大阪茨木ジャックライオンでライブします。
30周年の節目をいっしょに楽しめることが何よりも幸せです。
昔のセンタマもいいのですが、ここ数年の楽曲もすごい楽しみです。
日曜日は、おっさん達のロックスピリットを見せてあげましょ!
「大阪ミナミ・・・」をカバーしてやってくれたときはホンマに涙出るぐらいうれしくて大騒ぎでした。我ながらエエ曲やんかーとか思いながらも、そんなに愛してくれてたんだーと感激しました。ありがとう。
さて、その天才的な作詞家ドラマーの今井さんって、実はボクのことなんですよねー。墓標にはそう書いてもらおう。
ジャマーバンドさんのfacebookより〜その2〜 [ダイアリー]
ジャマーさんも30周年なので、昔話を思い出されているようです。
昔話というのは本当にそうだったというより、そうだったらおもしろいという風に覚えていることが多いので、泉たまに対するコメントも「今だからそう思える」みたいな感じがしますねえ。ありがとうございます。
片男波海水浴場での野外ライブ1984年~1988年 1983年に和歌山黒沢牧場での泉州たまねぎファイターズと出会い、リーダー前田氏からの発案で、翌1984年から和歌山市の片男波海水浴場で野外フェスをすることになった。 片男波(かたおなみ)は万葉集にも歌われた風光明媚な海岸で、海と和歌川が混じり合う汽水地域で、水鳥もたくさん集まる所。和歌山に住む私たちも和歌山を離れた前田氏にとっても特別な場所だった。 当時野外のロックイベントは、地元の許可をもらうのがたいへんで、和歌浦在住の川端父の協力で市役所や自治会を説き伏せ、手作りで5年間実施した。出演者がTシャツを販売し、ステージを組み、自作自演の野外フェスでした。 その後、片男波には野外ステージができ、芝生の客席もあり、いつでもイベントができるようになっている。 このロックイベントで、ジャマーバンドが率いる和歌山のオレンジユニオンと泉州たまねぎファイターズが率いる大阪のオニオンができ、2008年に和歌山マリーナシティで復活。 2009年からは大阪千日前アナザードリームで昨年まで実施、今年は和歌山開催ということになり、9月23日片男波ではないが、和歌山一の繁華街「ぶらくり丁」で開催される。 かつて賑やかだった「ぶらくり丁商店街」もシャッター通りになり、その活性化で行われている「ぶらくりSWING」でオレンジ&オニオンユニオンステージが登場。丸一日おっさんたちがロックをする。 いつまでも忘れられない片男波の太陽と汗のにおいとロックが耳に残っていたから、COMIN'KOBEを大学でやろうと思ったのでしょう。 さあ、今週末13日は、このオレンジとオニオンのリーダー対決がジャックライオンで開催されますよ。ぜひお越しを!!
昔話というのは本当にそうだったというより、そうだったらおもしろいという風に覚えていることが多いので、泉たまに対するコメントも「今だからそう思える」みたいな感じがしますねえ。ありがとうございます。
片男波海水浴場での野外ライブ1984年~1988年 1983年に和歌山黒沢牧場での泉州たまねぎファイターズと出会い、リーダー前田氏からの発案で、翌1984年から和歌山市の片男波海水浴場で野外フェスをすることになった。 片男波(かたおなみ)は万葉集にも歌われた風光明媚な海岸で、海と和歌川が混じり合う汽水地域で、水鳥もたくさん集まる所。和歌山に住む私たちも和歌山を離れた前田氏にとっても特別な場所だった。 当時野外のロックイベントは、地元の許可をもらうのがたいへんで、和歌浦在住の川端父の協力で市役所や自治会を説き伏せ、手作りで5年間実施した。出演者がTシャツを販売し、ステージを組み、自作自演の野外フェスでした。 その後、片男波には野外ステージができ、芝生の客席もあり、いつでもイベントができるようになっている。 このロックイベントで、ジャマーバンドが率いる和歌山のオレンジユニオンと泉州たまねぎファイターズが率いる大阪のオニオンができ、2008年に和歌山マリーナシティで復活。 2009年からは大阪千日前アナザードリームで昨年まで実施、今年は和歌山開催ということになり、9月23日片男波ではないが、和歌山一の繁華街「ぶらくり丁」で開催される。 かつて賑やかだった「ぶらくり丁商店街」もシャッター通りになり、その活性化で行われている「ぶらくりSWING」でオレンジ&オニオンユニオンステージが登場。丸一日おっさんたちがロックをする。 いつまでも忘れられない片男波の太陽と汗のにおいとロックが耳に残っていたから、COMIN'KOBEを大学でやろうと思ったのでしょう。 さあ、今週末13日は、このオレンジとオニオンのリーダー対決がジャックライオンで開催されますよ。ぜひお越しを!!
ジャマーバンドの facebook より [ダイアリー]
ジャマーバンドのフェイスブックの記事にこういうのがありましたので、勝手に転載いたします。
泉たまもこれ読んだらまた謙虚にもどって初心忘るべからずでいかなアカンね。
泉たまは「音もでかいが態度もでかい」バンドになってるからね〜。
「泉州たまねぎファイターズに鼻を折られる」の巻
1982年からバンド活動開始からどんどんライブをしていた頃、同じく「BE-BOP」で定期的にライブをしていたのが、泉州たまねぎファイターズ。このバンドもライブはいつも超満員。そのうえ、当時のコンテストでグランプリなど取りまくり、大阪のバーボンハウスとか一流ライブハウスでもガンガンライブをしていた。
てっきりプロのバンドと思っていたら全員われらと同じ社会人、まだ少し上の年代で、仕事もバリバリ、バンドもバリバリ。その上全員が上手。MCが面白い。歌詞がええ。曲もええ。コーラスもええ。その上見たことがないミシンみたいなスチールギターという珍しいもんまであり、それが「ヤングリクエスト」という毎日聞いてる深夜放送のテーマを弾いている。そう私たちが勝てるものは何一つないバンドと巡り合ってしまった。
そして1983年の夏、ついにこの方々と一緒に黒沢牧場(@和歌山県海南市)に野外ライブをすることになった。そこで恐ろしい光景を目にする。泉州たまねぎファイターズメンバー全員が楽器の後片付けの早いこと、そのうえ、自分たちの楽器以外の音響備品やマイクなどをさっさと片付け、重い機材を愚痴も言わずにせっせと運んで、運営スタッフの協力していた。「あかん、俺たちは間違っていた」ちょっと客が集まるバンドということで、こんな手伝いしたことなかったことを反省。謙虚なセンタマに天狗の鼻はパッキーンと6本折られるのであった。しかし、これがなかったら30年もバンドが続いていることはなかったでしょう。
極めつけはセンタマリーダーのダーマエことベースの前田さんが実は和歌山市出身でみどり幼稚園の先輩であったことが判明。これでますます頭が上がらなくなり、以降ジャマーバンドは泉州たまねぎファイターズを師匠とし、崇め奉ることになる。この黒沢ライブがきっかけで翌年から5年ほど片男波海水浴場で野外ロックフェスを毎年行うことになり、センタマのオニオンユニオンとジャマーのオレンジユニオンが設立されていくのです。
今年はこのオレンジ&オニオンユニオンライブが9月にブラクリ丁で実施する予定です。ぜひご参加ください。
そして5月13日(日)には大阪茨木ジャックライオンにてジャマーバンド30周年企画「泉州たまねぎファイターズvsジャマーバンド」が遂に実現いたします。師匠を超えるのは長生きしかないのか、それともすでに追いついているのか、みなさん是非確かめに来てね♪
最後に『泉たまを越える』だとか『追いついている』だとか、また、そういうこと書いていますが、泉たまはジャマーと競争してるつもりはないし勝負してるつもりもないので、そこんとこ、よろしくね。
泉たまもこれ読んだらまた謙虚にもどって初心忘るべからずでいかなアカンね。
泉たまは「音もでかいが態度もでかい」バンドになってるからね〜。
「泉州たまねぎファイターズに鼻を折られる」の巻
1982年からバンド活動開始からどんどんライブをしていた頃、同じく「BE-BOP」で定期的にライブをしていたのが、泉州たまねぎファイターズ。このバンドもライブはいつも超満員。そのうえ、当時のコンテストでグランプリなど取りまくり、大阪のバーボンハウスとか一流ライブハウスでもガンガンライブをしていた。
てっきりプロのバンドと思っていたら全員われらと同じ社会人、まだ少し上の年代で、仕事もバリバリ、バンドもバリバリ。その上全員が上手。MCが面白い。歌詞がええ。曲もええ。コーラスもええ。その上見たことがないミシンみたいなスチールギターという珍しいもんまであり、それが「ヤングリクエスト」という毎日聞いてる深夜放送のテーマを弾いている。そう私たちが勝てるものは何一つないバンドと巡り合ってしまった。
そして1983年の夏、ついにこの方々と一緒に黒沢牧場(@和歌山県海南市)に野外ライブをすることになった。そこで恐ろしい光景を目にする。泉州たまねぎファイターズメンバー全員が楽器の後片付けの早いこと、そのうえ、自分たちの楽器以外の音響備品やマイクなどをさっさと片付け、重い機材を愚痴も言わずにせっせと運んで、運営スタッフの協力していた。「あかん、俺たちは間違っていた」ちょっと客が集まるバンドということで、こんな手伝いしたことなかったことを反省。謙虚なセンタマに天狗の鼻はパッキーンと6本折られるのであった。しかし、これがなかったら30年もバンドが続いていることはなかったでしょう。
極めつけはセンタマリーダーのダーマエことベースの前田さんが実は和歌山市出身でみどり幼稚園の先輩であったことが判明。これでますます頭が上がらなくなり、以降ジャマーバンドは泉州たまねぎファイターズを師匠とし、崇め奉ることになる。この黒沢ライブがきっかけで翌年から5年ほど片男波海水浴場で野外ロックフェスを毎年行うことになり、センタマのオニオンユニオンとジャマーのオレンジユニオンが設立されていくのです。
今年はこのオレンジ&オニオンユニオンライブが9月にブラクリ丁で実施する予定です。ぜひご参加ください。
そして5月13日(日)には大阪茨木ジャックライオンにてジャマーバンド30周年企画「泉州たまねぎファイターズvsジャマーバンド」が遂に実現いたします。師匠を超えるのは長生きしかないのか、それともすでに追いついているのか、みなさん是非確かめに来てね♪
最後に『泉たまを越える』だとか『追いついている』だとか、また、そういうこと書いていますが、泉たまはジャマーと競争してるつもりはないし勝負してるつもりもないので、そこんとこ、よろしくね。